“  ダブとは何だろう? ダブの強さとは何だろう? 僕がそれを深く考えるようになったのは、ちょうど、タビーの死の前後だった。1990年に僕は『音楽の未来に蘇るもの』という本を書き上げた。それは主に僕の80年代の音楽体験から導き出されたものだった。パンク、ニューウェイヴ、ヒップホップ、ハウス、アフロ、ラテンなどなど。だが、一番最後の章を僕はキング・タビーに捧げている。
 
 ダブは新しい何かを付け足していくことよりも、すでにある何かを削っていくことから生まれた。反復するはずのベースラインが消える。ドラムのビートが消える。だが、聞こえるはずのものが聞こえなくなったその瞬間に、人はそのベースラインやドラム・ビートがそこにあったことをより強く感じるのだ。ダブはそういう意味では、記憶ということと深く結びついた音楽手法だとも言える。
 
 そういえば、こんな話がある。喫茶店で小さな音でBGMがかかっている。話に夢中で、あなたは何がかかっているかなど全然、意識していない。だが、BGMが一周して、同じ曲が二回目にかかった瞬間に、ああ、さっきもこの曲がかかった、と気づくことがないだろうか。一回目は意識にも昇らない。が、二回目にはハッとする。どうやら、人間はそんな風に音楽を聞いているらしい。

NORMAN COOK (BEATS INTERNATIONAL) Tokyo 1992.7.4 Photo by Ishida Masataka 
 
 過去の記憶と照らし合わせた時にスパークする何か。音楽というのは、それを巧みに使って、人々を高揚させるのかもしれない。ダブはそこをピンポイントで突いてくる。新しいメロディーやコードやリズムを生み出すことよりも、記憶を揺さぶることの方が、より深いグルーヴの中に人を誘いこむ力を持つということをタビーは誰よりもよく知っていたのではないか。

 皮肉なことに、キング・タビー、その人についてもまた、ふっと消えてしまってから、人々はその存在の大きさを強く意識するようになった。たいした量の写真も残っていなければ、まともなインタヴューも残っているのかどうか。
 
 だが、彼のレコードは残っている。これほどまでにダブの手法が世界中の音楽シーンに浸透した今も、それらはインパクトを失うことがない。
 
 現代のダブ・ミックスはほとんどすべて、コンピューターライズドだ。オンオフのポイントも、エフェクトのセンドリターンも、フェーダー操作もすべてデジタルで正確に制御される。それに比べたら、タビーが始めた頃のダブは、恐ろしくプリミティヴなシステムで作られたものだった。トラックから8トラック程度のミキシング・デスクに向って、その場のイマジネーションで、手作業で即興的にミックスしていた。あたかも、ジャズ・ミュージシャンのインプロヴィゼーションのように。

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